今だからこそ「企業を見るプロ」が必要 その考え方の原点とは ファンドマネージャー 中川 朋春
アクティブに挑戦し続ける当社の社員を紹介するマガジン「Be Active.」。
第三回は、深い知見で市場金利や企業の力を見極め、局面に合わせた戦略で運用する、日本債券に携わる中川FMをご紹介します。
幼少期から車が大好きで、大人になった今も一年を通して運転を楽しむ
車の運転や風景を見るのが好きで、箱根、湘南、首都高の大黒パーキングなどへよく行きます。季節は春や秋が快適。ただ、夏のドライブも夏特有のガソリンのにおいが、学生時代の楽しかった思い出を呼び起こしてくれるので好きです。冬は布団から出るのがつらいので出来るだけ外へは出たくないですが、寒さを乗り越え、車を走らせれば、箱根から見える富士山はすごく綺麗です。つらいことを乗り越えればご褒美が待っています。
結局、“季節関係なくドライブが好き”ということでしょうね。
小学校低学年の頃、三重県に住んでいたこともあり、週末は父親に鈴鹿サーキットへ度々連れて行ってもらいました。そこではサーキット上をゴーカートに乗って走れるのですが、当時の自分はそれがどんな遊びよりも好きで、操縦することの面白さや車への憧れはこの時に芽生えたのだと思います。
独身時代は車との一体感が好きで、ハンドリング性の良い2ドアクーペに乗っていました。結婚して子供が生まれてからは、さすがに4ドアセダンやSUVに乗るようになりましたが、4ドアセダンを選ぶときでも、車を操る楽しさを重視して、FR(後輪駆動)に拘って車選びをしてきたので、ドライブを楽しむことが出来ました。
今は子供が成人となり、家族全員で車に乗る機会も減ったので、昔から好きだった2ドアクーペにもう一度乗りたいと思い、サーキットも走れる車ということ(走ったことはないし、走ることも無いと思うけど(笑))で今の車を購入しました。
大学再受験を選択、自分の人生と向き合うことに
高校時代は、放課後になると学校近くのファミリーレストランへ行き、友達と他愛もない話で何時間も過ごすような毎日でした。
それもあってか、大学は現役での第一志望合格は叶わず、第三志望の学校に進学しました。
第三志望への進学を決意した理由は、「浪人せず進学したら車を購入しても良い」と両親から言われたことです。さらに”一人暮らし”も”再受験”も可能という条件だったため、自分にとってはとても魅力的なオファーでした。「さすがに2回目の受験となれば勉強も頑張るはずだから、第一志望には受かるだろう」との楽観的な見通しで、このオファーを受けることにしました。
大学生活では、車を手に入れたことで行動範囲も広がり、友達と夜中に海までドライブしたり、サークル活動に勤しんだり、それなりに楽しい日々を過ごしていましたが、バブル景気真っ只中の日本でやりたい仕事に就くためには専門性を磨く必要があったので「来年必ず再受験をしよう」という当初の思いは変わりませんでした。
ただ、自由を謳歌した生活の中では受験勉強は捗らず、そうこうしているうちにあっという間に秋になってしまいました。
そんな時、高校時代の友達から、「みんな勉強しているぞ、中川も真剣に勉強した方が良い。」「一緒に勉強しよう。」と連絡をもらい、初めて自分の置かれている状況がかなりヤバイことに気が付きました。そこから一念発起して、実家に戻り、毎日8時から20時まで、塾の自習室で勉強に取り組みました。この時期が人生で一番勉強したと思います。そして、ついに第一志望の大学に合格することができました。
ファンドマネージャーに興味を持ったきっかけは“名物ゼミ”
晴れて希望の大学に進学でき、勉強に遊びに充実した大学生活を送っている中、3年のゼミ選択時に計量経済学のゼミを知りました。1、2年で学んできた経済理論を実践に当てはめる計量経済学自体にも興味を持ちましたし、大学で一番忙しいと噂のこのゼミは、学べることも非常に多く優秀な先輩が多いとの話もあったので、「自分もそのような環境で経済学を学んでみたい」と思い入会しました。
なので3、4年の大学生活の思い出はゼミ一色です。
毎週月曜日から木曜日は、9時から21時まで大学でパソコンに向かい計量分析を行っていました。特に木曜日は、金曜日の発表の為に、徹夜して資料を完成させることも多々ありました。完全オフは日曜日だけの生活だったので、この時から“猛烈に働くサラリーマン”のような生活でした。
そのおかげで、その後の社会人生活も違和感なく入ることができました。
この時の計量経済分析は、多賀出版から、「日本のマクロ経済―R.J.ゴードン『現代マクロエコノミックス』日本経済への適用」として出版されました。
社会人としての土台を築いた静岡、ファンドマネージャーまでの道のり
就職は「計量経済学を直接活かせる運用の仕事がしたい」と思っていたので、当時、運用の仕事を得られるチャンスの多かった生命保険会社を志望しました。入社後、最初は静岡支社に営業として配属され、自分の希望通りとはいかず少し戸惑いましたが、周りの人に恵まれ、色々な経験を積み、社会人としての土台を作ることができました。
週末になると下道を運転しながら実家のある東京へ帰るのですが、その道中で見える箱根の山の景色や富士山がとても清々しくて、“山を越える”ことと今の状況とを重ね合わせては「自分も頂を目指して頑張ろう」といつも励まされていました。
ただ、「運用の仕事をしたい」という思いはずっと変わりませんでした。
なので、入社1、2年目で受検する試験で良い成績を収められるよう勉強をしよう、と考えました。なぜなら、その試験で9割以上の点数を取れば、優秀者として人事異動や研修参加への希望が叶い易くなると聞いたからです。
その後、無事に2年間エコノミストとしての研修を受けることができ、運用審査課に配属され、クレジットアナリストとしての職務につきました。クレジット分析の面白さが分かると同時に、もっと直接的にファンドマネージャーとして運用に携わりたい思いが強くなり転職を決意しました。その会社で出会った尊敬するファンドマネージャーを真似て、今でも1つのボールペンを長く丁寧に使い続けています。
一度決めたことは最後まであきらめない
自分は「一度決めたことは、できないと分かるまで粘る」性格なので、当初思っていた結果が得られなかったとしても、最初に決めたことを最後まであきらめたくありません。それが第一志望の大学合格だったり、エコノミストの研修だったり、ファンドマネージャーへの転身に繋がっているのだと思います。そんな自分の人生は「車と共に歩んできた」といっても過言ではないのかもしれません。大学に入学して真っ先にしたことは免許の取得でした。
何かを決意したり、前向きな考えに切り替えたり、そういうのは車を運転している時が多い気がします。
ラジオや音楽、時にはエンジンサウンドを聴きながらの運転は、日々の忙しさを忘れられます。運転は難しいがゆえ、無意識に頭をフル回転し集中しているので雑念が払われ“無”になれます。
今、ずっとやりたかった“ファンドマネージャー”の仕事をしていますが、悩んだり迷ったりすることもたまにあります。
そんなときは車へ乗り込み、四季を感じる道を心の赴くままに走らせています。
今、日本は大きく“変化”しようとしている。だからこそ「企業を見るプロ」が必要
日本銀行が2016年1月に「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」政策を導入して以降、金利低下が急速に進みました。また、日本の企業が発行する社債についても、投資を行っても高い収益が期待できないとの判断から運用資産としての地位が低下し、株式や外国債券などへのシフトが進みました。
しかしながら、今、日本は大きく“変化”しようとしています。
日本の国債金利がようやく上昇に転じ、社債も比較的高い収益を得ることができるようになってきています。金融危機や、リーマンショックなどを経て、保守的な財務戦略を取っている“社債投資に向いた企業”が数多くあります。特に、近年発行が増えてきた劣後債と呼ばれる“弁済順位が低い債券”は、一般的な社債に比べ利回りが高いものの、債務償還能力は一般的な社債に近いと言えるため、投資に値する債券になってきています。
しかし、変化の波に乗ろうと、海外に比べ保守的な日本の中にも、成長を重視するあまり首をひねらざるを得ない財務戦略をとる企業もあります。そんな今だからこそ、私たちのような「企業を見るプロ」が必要だと自負しております。
父が好きだった登山をいつか子供と一緒にしてみたい
友人と登山へ出かけ、楽しそうに帰ってくる父を見ていたので、自分も登山はいつかしてみたいと思っています。
一度だけ、父に誘われて一緒に山に登ったことがあります。大学卒業の年でした。
それまで登山には興味がなく、登っている途中もすごく疲れましたが、頂上まで行くと何とも言えない達成感に包まれ、その時食べたカップラーメンが驚くほど美味しかったのを覚えています。つらいことを乗り越えればご褒美が待っています。
車から見る山、自分の足で登って見る山、また違った景色が見られそうですね。もし自分の子供が登山をしてみたいと言ったら、一緒に行きたいと思います。
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